
離婚という大きな節目に立ったとき、心は大きく揺れますよね。
離婚して、幸せになるために「何かが必要だ」と感じる瞬間は少なくありません。
子どもの穏やかな寝顔や、大切な人の優しさ、夕日の美しさ。
心を揺らすきっかけは確かに存在しますよね。
ただ、幸せは外から与えられるものではなく、本来は内側から湧き上がる感覚です。
人は、幸せを『感じよう』と決めたときに、その悦びが訪れます。
外的要因が揃っていなくても、静かな内側に意識を戻した瞬間に幸福感が宿ることがあるのです。
「幸せになりたい理由」は、ただそう決めたから。
それ以上の理由は、実は必要ありませんね。
離婚直後は、相手の言動が頭に残っては苦しくなる時期が続くものです。
「こうしてほしかった」「なぜ分かってくれなかったのか」と、外側へ意識が向かい続ける。
同じ経験をした人なら、この苦しさに心当たりがあるかもしれませんね。
しかし、内側の幸せに意識を戻すようになってから、少しずつ変化が起きます。
内側の悦びを知ると、人は他人をコントロールしようとしなくなります。
期待や失望から自由になり、目の前の誰かをそのまま受け入れられるようになりますよね。
怒りや嫉妬が溶けていき、心の底から「あるがままでいい」と思える瞬間が訪れるものです。
人生が苦しいと感じるときは、三次元の『渦』の中心で翻弄されているだけ。
目を閉じ、深く呼吸し、自分の奥にある「観察者の意識」へと戻ると、苦しみはそっとほどけます。
目に見える現実は「結果」にすぎません。
形あるものはいつか変わり、崩れてゆきますよね。
その幻影に幸せを預けてしまうと、心は追い詰められてしまいます。
離婚後は「足りないもの」に意識が向きやすいものです。
収入も時間も家族の形も、以前とは違う。
その違いが欠乏のように感じられ、不安を呼び起こすこともあるはずです。
争いや奪い合いは、いつも「足りない」という思いから生まれます。
欠乏を信じる人は、自然や他者から多くを取ろうとしますよね。
一方、豊かさを信じられる人は、自然と他者を労わり、自分の創造性を楽しみます。
「豊かである」という思いが、豊かな現実を作り出し、人間関係も地球環境も調和へ向かうのです。
結局のところ、真の豊かさは一人ひとりの心から始まります。
自分を『まん丸で欠けていない存在』として見つめると、欠乏の幻想が解けていきますよね。
「努力しなければ豊かになれない」という思いは、古い観念にすぎません。
豊かさとは、本来とてもシンプルなもの。
大切なのは、自分が豊かであることを許すこと
ただそれだけなのです。
心が豊かでなかった時期があったとしても、それもまた深いレベルでの選択。
今この瞬間から、別の選択をしても良いのですよね。
豊かさとは「外側の獲得」ではなく、「内側の許可」です。
理想やユートピアという言葉を聞くと、胸が高鳴るものです。
その一方で、理想を『形』で追い求め始めた瞬間、人は排除や争いへ向かってしまいますよね。
理想は、外側のシステムにあるのではなく、一人ひとりが理想そのものとして生きる姿勢の中にあります。
愛を選び、自然を愛し、日々の行動を愛から選択する。
その積み重ねこそ、目の前に理想的な現象を呼び起こします。
外側の世界を変えようとするより、内側の世界を整えること。
心が平和で満たされたとき、目の前の世界にも静かな平和が広がるのです。
人々の心が澄んだとき、人類は新しいエネルギーや豊かさを手にするといわれています。
それは遠い未来の話ではなく、この意識に触れようとしている今が、その入り口なのかもしれませんね。
豊かさを創り出す主役は、外の世界ではなく、いつも自分の内側。
その確信が深まるほど、現実は穏やかに整っていきます。
離婚は決して軽い出来事ではありません。
けれど、心の深い場所では、あの経験が本質の豊かさへ戻るための扉だったようにも感じられます。
外側の形がどれだけ変わっても、幸せは内側から選び直すことができるのですよね。
豊かさは、外側の出来事や環境が決めるものではなく、
「今、幸せを感じることを選ぶ」
という内側の働きかけによって生まれるものです。
状況がどうであれ、心の奥にある平穏へ戻ることができる。
その事実を思い出すだけで、人生はより軽やかに進み始めますよね。
最後に――
どんな時でも、幸せを選び直せる自分でいて大丈夫です。