離婚したいと思っていても、「言い出したらどうなっちゃうんだろう」って考えてしまいますよね。
言い出してからこじれて、何年もネガティブな関係が続いたら…
言い争いがエスカレートすると、離婚すること自体が長引いて、離婚訴訟で離婚が決まるまで3年半かかることもあります。
この離婚体験談では、お互いの主張に納得がいかず、離婚まで長い年月がかかってしまった例を紹介します。
やっと離婚届を役所に提出したばかり。
夫は、離婚届を出した今になって、
と思い巡っているのです。
3年半にも及ぶ離婚騒動をやっと終わった。
振り返ってみると夫も妻も離婚を戦いだと思って、お互いの主張ばかりを繰り返していたことが情けなく思えるのです。
二人は、相思相愛の恋愛結婚でした。
モデルのような美男美女で高学歴同士。
人がうらやむほどのカップルでした。
夫は有名国立大学の大学院を卒業後、化粧品の研究所に勤務。妻も大学卒業後に上級公務員として働いていました。
結婚するときに、二人は「どちらか一方の愛情がなくなったら別れよう」という約束をしていました。
また、「どんなこともお互いが平等で、お互いのやりたいことには干渉しない」という約束もしました。
とくに契約という形ではなかったのですが、二人にとっては重要な決めごとだったのです。
2年の年の差のある二人でしたが、お互いに働き始めてから3年が経ったときに結婚生活がスタートしました。
そして、無事に二人の子供が生まれたのです。
ちょうど今から3年前。
結婚11年目にして、小学校4年生の長男、小学校1年生の長女がいたのです。
この頃から夫は何事にも自分の主張を譲らない妻がだんだん疎ましく思えるようになってきました。
同じようなことは、実は妻も思っていたのです。
最近、『これは性格の不一致というものかな』と夫婦ともに思っていたのです。
そんなとき、夫は妻から「離婚したい」と言われたのです。
夫にしてみれば青天の霹靂でした。
理由を聞いてみると、
「もうあなたに愛情がなくなったわ」
と言うだけです。
夫から見て、特に好きな人がいるとか、そんな風にはとうてい思えませんでした。
それ以上のことを聞くことも、離婚を考え直してもらうことも頼むことはありませんでした。
それもこれも、結婚当時の約束があったからです。
テレビを見ながらしばらく考えた後、夫は冷静に「いいよ。離婚。」と承諾したのです。
こうして簡単に離婚の合意ができたのですが、そのときから離婚届を提出するまでが、ものすごく大変だったのです。
すぐ次の日、離婚届を役所から取り寄せました。
離婚届は役所への提出書類です。
「紙切れ一枚で離婚ができる」とは協議離婚の場合は当てはまります。
ところが、離婚届に書く内容に夫婦二人が納得していなければ、調停・離婚訴訟へとつながってしまいます。
必要な事項を記載する段階になって、妻が
「子供はどうするの・・・・・」
と言い出しました。
離婚届には子の親権者の記載欄があって、親権者が決まらないと離婚届は役所で受理されません。
「君が離婚を言い出したんだ。子供は二人とも小学生だし、僕が引き取る。親にも話してある。」
夫は、当然に子供は自分が引き取ることになる、と思っていたのです。
「それなら離婚はできないわ。子供の問題は離婚をどちらが言い出したか、という問題とは別でしょう。子供は私が育てるから、養育費を出してよ!」
妻は激しい口調で言いました。
冷静になって考えてみれば、子供の問題はこともの立場で考えるべきことなのです。
こんな当然のことさえも、夫婦でお互いが自分の主張だけを繰り返すばっかりで、考えが及ばなかったのです。
もうこうなったら話し合いは平行線をたどる一方です。何を言っても、理屈で反論し、理屈で相手を責める。
夫婦はそれぞれの部屋を決めて、いわゆる家庭内別居の状態になったのです。
妻はその後、法律相談所や弁護士の無料相談などで離婚に関する知識を得ていきました。
あの離婚届を書いて論争になった日から2週間が経ち、妻は現在住んでいる家屋を財産分与するように要求してきました。
この家は登記記録上は夫婦の共有になっていますが、夫が実家から1000万円の支援をもらって、建てたものです。
このことを言うと、
「私と子供のためには、この家が必要なのよ。その代わり、あなた名義の貯金はそのままでいいわ。」
と言うのです。
話し合いを重ねる度に、妻の要求はエスカレート していきました。
そして、離婚に伴うトラブルはだんだんと複雑になっていって増えていきました。
このような状況がおよそ1年もたったのです。
家庭はすっかり崩壊です。
親同士が顔を合わせる度に、理屈の言い合いをして離婚の話になるので、子供たちからは笑顔が消え、学校ではいじめや暴力をふるう子として問題視されています。
妻の方は、自分の要求をエスカレートさせることに専念し、いつもイライラしていて子供にやつあたりしたり、育児・家事をしなることも続きました。
こんな状況でも夫は何もすることはできませんでした。
せめて子供に、近くの実家の親のところで夕食を食べるように言うのが精一杯でした。
『家庭裁判所の調停で話をつけよう』
こうした宙ぶらりんの状態ではいけない、と気がついた夫の方が妻に提案しました。
夫の方は、この離婚のことで仕事にも身が入らなくなってきていて、ちょっとしたミスが多くなって周りに迷惑をかけ始めていたのです。
「だったら、この家を出て行ってよ。離婚で争っている同士が同じ家にいるなんておかしいじゃない。」
妻は、また理屈をこね、血相を変えて言い放ちました。
「出て行くのは離婚をいいだした君じゃないか。」
また、売り言葉に買い言葉の応酬です。
「私には子供がいるわ。あなたにめんどうがみれる?何もしないじゃない。」
そのとき、思わず夫は手を挙げてしまいました。
思いっきり妻のほほを平手打ち したのです。
妻は一瞬たじろぎましたが、体勢を整えるとすぐに電話を持ち、110番通報したのです。
すぐにパトカーのサイレンの音がして警察が来ました。
夫は事情を聞かれて、かなりきつく叱責されました。
警察官はDVがあったのだろうということで対応したのです。
警察に通報された事件で冷静になった夫の方は、早く第三者を交えて冷静に話し合って、離婚問題を解決した方がいい、と考えて家庭裁判所に調停の申立をしたのです。
しかし、調停でも子供の親権や、財産分与のことで家庭で言い争っている内容がそのまま家庭裁判所に持ち込まれただけでした。
話し合いはいつも紛糾して、夫婦の双方が主張を変えることはありませんでした。
そして、さらに1年近くたって話し合いに結論がひとつもないまま調停は不成立で終了しました。
離婚するには、もう離婚裁判訴訟しかありません。
訴訟の申立では、その請求の趣旨(離婚すること)を明確にしなければなりません。
したがって、夫は、離婚を言い出した妻が申立をするのが筋だろう、と思ったものです。
この時点で妻が離婚をいいだしてから2年が経過していました。
もうこの頃になると、夫は意地でも『早く離婚したい』と思っていたのです。
そこで、夫は調停が不成立になってからおよそ半年経った後に、弁護士に頼んで訴訟を起こしました。
裁判所でも妻側の主張は相変わらずなものでしたが、訴訟は調停と違って不成立ということはありません。
裁判官が、裁判上の「和解」を勧めることはありますが、和解できなくても必ず判決という形で、離婚の白黒の決着がでます。
裁判所の判断は、
となりました。
また、
養育費は夫婦共働きという状況を考慮して、長女の養育費として月2万円を夫が妻に支払うというものでした。
財産分与に関しては、夫が妻に120万円を支払うようにというもの。
この結果は調停でも何度も調停委員が勧めたものと同じでした。
離婚の問題解決のとしてはものすごく妥当なものだったのです。
妻が離婚をしたい、と言いだしてから、判決終了までに3年半の月日が流れていました。
夫婦でお互いの主張だけを繰り返して本音で話すこともなく、お互いと子供を傷つけただけの離婚劇場でした。
離婚は結婚という契約の解消なので、相手の主張を聞いて、条件等の譲歩は仕方のないこと>なのです。
離婚は人生においての節目の一つです。
再出発のための節目にするか、単なる事件として終わらせてしまうかは本人の考え方次第かもしれませんね。
離婚のときに問題になるのは、親権・財産のことがほとんどです。
離婚したいと思いつつ、離婚を言い出した後は二人が冷静に話し合うことが難しくなります。
離婚問題は夫婦双方が主張を繰り返し、さらに、話し合いで双方が自分にとって少しでも有利に解決したい、と思うと、どんどん複雑化して言い争いがエスカレートしていきます。
離婚後の財産のことについてこじれて「離婚」も話し合えないとも多いです。
意地を通したいという気持ちはわかるのですが、それでは何の解決もできません。
だから、離婚について話し合う前に家の財産チェックをしておいた方がいいです。
もし自宅などの不動産を所有しているのなら、最終的に離婚したとなるとお金の問題は、財産分与で清算、という方法をとります。
法律上、財産分与は、婚姻期間中に築いた財産を夫妻で2分の1の割合で分け合うのが原則です。
財産分与の計算をするときは、たとえご自宅を売却しなくても、資産価値の計算に含まれます。
「離婚」を言い出す前にする『離婚』を考えたときすべき準備とは