災害は何もない普通の生活が幸せ、ということを教えてくれますよね。
震災などレアな事態だからこそ、結婚生活の絆になる「家族愛」に気がつくものです。
3・11の震災以後、結婚の数も離婚の数も増加した、と報道もされていました。
震災をきっかけに、結婚したり家族愛を深めたり…
震災などレアな事件は一生のうちにめったに起きない事態ですよね。
究極の選択をする事態で、家族の意味に気がついた夫婦は、離婚か結婚継続か、価値観の違いがわかれてきました。
結婚生活の意味を見直した夫婦は大きく二つの方向に進んでいます。
ここでは、東日本大震災から13年、熊本の震災から7年がたって、未曾有の大災害が夫婦に与えた影響で、離婚した夫婦と、復縁した夫婦を紹介します。
阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震、能登石川の地震などの大震災や、平成30年の豪雨などの自然災害は、人の心にいろいろなことを気付かせてくれましたよね。
大きな災害の後には、多くの人が、家族やパートナーとの愛の絆や、結婚生活の意味を考えるきっかけになることがあります。
災害から時間がたって、結婚生活の意味を見直した夫婦は、冷静に家族愛に気がつくきっかけになるものですよね。
家庭内別居で離婚直前だった夫婦が、家族愛に気がついて復縁した例もあります。
結論から言ってしまえば、災害をきっかけに結婚生活を見直して離婚した夫婦と、ギクシャクしていた夫婦仲が復縁した夫婦の違いは、価値観だったんですね。
別居していた夫婦が、東日本大震災をきっかけに別居を解消して、再度同居し始めたという事例があります。
マモルさん(仮名 42歳)夫婦は、離婚を前提に別居していました。
結婚して20年が経っていたのですが、もう10年以上前から夫婦としての関係は冷え切っていて、会話はほとんどなく、家庭内別居の状態でした。
そんな矢先に震災が発生したのです。
震災前は、マモルさんは会社で寝泊まりをし、妻子は自宅に住んでいました。
どちらも、同じ市内だったのです。
家族が全員無事で、会社も自宅も大きな被害はありませんでした。
一方で自宅の近隣では倒壊寸前の家屋もあって、妻は近隣住民のために自宅を一時的な避難場所として提供していました。
さすがのマモルさんも家族のことが心配になって、いったん、自宅に戻ったのですが、そこで家族というものの見方を変える出来事がありました。
震災後の殺伐とした状況の中で、家族や近隣住民と共同生活を送れば、マモルさんだって家族のありがたみを感じざるを得なかったのです。
とりあえず、「震災」という不可抗力が離婚しようとした事情を変えたのは事実です。
それまでマモルさんはイベント会社を経営していて、実は会社の女性従業員とつきあっていたのです。
しかし、震災以降、会社の業績が思わしくなく、女性を雇用し続けることが難しくなってきました。
夫妻が二重生活を送っていると、当然、同居している場合に比べて、生活費等の負担は重くのしかかります。
やはり、大人二人が違う生活をしていると、単純に2倍になりますからね。
夫が別居を解消した理由には、金銭的な理由もあったのです。
いずれにしても夫婦は震災が理由で元サヤに戻ることができたのです。
女性に離婚を急がされていたという事情もありました。
元サヤに表面上は戻った夫婦は、最初のうちはうまくいくようになったと夫婦ともども感じてはいたんですね。
しかし、人というのは夫婦といえども、言葉を交わすことなく以心伝心なんかできないものです。
一緒に暮しても、すぐに会話をしないコミュニケーションの生活に戻ってしまったんです。
何十年も連れ添った夫婦関係でも、それまでに交わした言葉の数だけ通じ合えるものです。
自宅に戻ってたかだか数ヶ月で、会話して言葉もなしに通じ合うことなどできません。
お互いの態度で、大きな溜息をついても、ドアを勢いよく閉めても、ドタバタと足音をたてても、「なんだか機嫌が悪るそうだな・・・・』くらいのしか伝わらないですよね。
とくに夫婦は共同生活なので、お互いに甘えあったり、助け合うことはどうしても必要です。
それをお互いが『会話なんかなくてもわかってほしい』という考えを持っていると、意思疎通することができずにいる状態になってしまいます。
なにかあっても、お互いが「自分だけが大変な思いをしている・・・」という不満がたまってしまっていたのです。
夫婦で、いい意味で素直に甘えることができれば、『お互い様』として助け合うことはできますよね。
いくら震災で家族愛に気がついて復縁して戻った夫婦といっても、会話と言うコミュニケーションができないと、お互いが「自分ばかりが・・・」と不満だけがふくらみ、隔たりができてしまうものです。
夫婦で会話もなく、コミュニケーションもせず、甘えることがすらできない先には、家庭内別居をしたその先にある離婚の選択肢しか残っていなかったのでした。
震災で復縁した夫婦は、震災と言う未曾有の事件が起きたにもかかわらず、その機会を生かしきることができなかったのです。
結局は、離婚の先延ばし、という形をとっただけで、最終的には離婚に至ったのでした。
震災を経験した直後には、家族のありがたみを再認識した夫も少なくはなかったんですね。
震災直後はホントに多かったですね。
ただ、すぐに、化けの皮がはがれて、また夫婦喧嘩が再燃し、夫婦間の会話が消えてしまう家庭になってしまっているんですね。
震災によって、家族のキズナを実感して、妻との結束を強めた。
にもかかわらず、夫婦関係が改善されたのはその時だけだった夫婦も多いんですね。
うまくいかなくなった夫婦は、お互いに「いてもいなくても変わらない存在」に成り下がってしまったんです。
夫は仕事でいっぱいいっぱい。
妻も家事でいっぱいいっぱい。
その気持ちを素直に差し出し合えば、夫も家事をやってくれるたのかもしれません。
妻も元気を与えてあげらるのかもしれません。
「今日は気晴らしに外食にしようか」とか、夫婦にとって嬉しいイベントになるかもしれません。
素直に言葉を交わすことによって事態はポジティブに変化していくものです。
結局、今すぐに離婚という結論を出さなくても、と思い直して、離婚は先延ばしにしたのでした。
結婚したころは仲がよかった夫婦でも、時が経つにつれて会話も少なくなり、けんかも絶えなくなってしまいますよね。
このまま不仲の状態で夫婦を続けるか、仲のよかった夫婦仲に戻る方法をやってみるか、さっさと離婚するか、など選択肢は3つしかありません。
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震災のような大きな出来事で、一度心が離れた夫婦は元に戻るのは難しい例を紹介しました。
震災がきっかけで、夫婦の仲が戻りつつある夫婦もいます。
熊本の震災の前から別居していた夫婦ですが、震災を期に子供に対する価値観が変わって、夫婦関係の修復が可能になってきている40代夫婦の話です。
夫の光夫さん(仮名)は、40代夫婦で同じ市内に在住しています。
震災前から夫婦は別居していました。
光夫さんの嫌がらせやいじめに耐えかねて、妻は小学生の子供を連れて家を出たのです。
共働きなのに光夫さんが家事育児に協力的じゃなかったことも妻にとっては不満の原因でした。
妻は同じ市内にアパートを借りて、生活していますが、現住所は光夫さんには秘密のままにしていました。
落ち着いたら離婚を切り出す予定だったのです。
そんなとき、震災が発生し妻は驚きました。
子供を迎えに小学校に行くと、そこにはすでに光夫さんがいたからです。
同居の時は子供に無関心だった光夫さんが、緊急事態で一変したのです。
妻は気まずい顔をしながらも、二人で子供を引き取りました。
そして、震災から2年たった頃、夫婦は未だに別居していますが、震災をきっかけに子供との関係を介して、少しずつ夫婦関係が修復してきています。
家族愛に、新しい価値を見出してきたところです。
たとえば、年末年始に子供がインフルエンザにかかったとき、光夫さんは早く仕事を切り上げられるよう努力しています。
今まで家庭を顧みることもなかった価値観に、変化の兆しが見られるようになったのです。
熊本の震災を体験した光夫さんに何らかの価値観の変化が出てきたようです。
夫婦のおたがいの家族の価値観がマッチすれば完全な復縁間近です。
震災などレアな事態があると、価値観もガラッと変ることもあります。
離婚を考えていた夫婦が復縁することもありえるんですね。
別居していたのに復縁、ということもあります。
逆に、頼りなさと信頼を失って、離婚に至ってしまうこともアリ余す。
とはいっても、こういった大きな震災などの出来事はめったにありません。
結婚したころは仲がよかった夫婦でも、時が経つにつれて会話も少なくなり、けんかも絶えなくなってしまいますよね。
だから、震災のような大きな出来事がなければ、夫婦関係を見直す機会ってないのかもしれません。
レアな事態が起きることで、普段から思っていることに気がついて、今後の夫婦の方向性が表に現れることってあるんですよね。
離婚は、震災と同じくらい、人生を狂わせてしまうくらいの事態であることは間違いありません。